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勇二さん退院決定

昨日、携帯に勇二さんから「金曜日退院決定!」とメールが来た。

よかった。と思う半面、少し心配なのが「早く退院して仕事しないと。」と前回言っていた事だ。

無理をしないように祈りつつ。

「次回も、ボランティアもがんばろー。」と前回私が励まされたが、ボランティアチームでもなくてはならない存在だ。
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出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/29 09:11

勇士とお見舞いに

午前中、お墓の掃除に行き、その後、翼はHi-b-aに、汀は洋二家に、そして私と勇士は大垣さんのお見舞いに。

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精密検査の結果、背骨の飛び出している部分が折れているようで、圧迫骨折はなかったとのこと。安静は、必要だが、痛みが取れたら退院できるようだ。一安心。

しかし、相当いたそうだったが。

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食後のマンゴーパフェ

その後、勇士と夕食に。久しぶりに勇士といろいろと話ができた。短期的な目標、長期的な目標設定をしたり、楽しいときだった。

家に戻り、早速、気合を入れて勉強開始。

その後、問題が、Hi-b-aの集会に出ていた翼から8時に終わったと連絡が着たが、11時を過ぎても帰ってこない。結局12時前に帰ってきた。「友達と話していて遅くなってしまった。」

レッドカード

Hi-b-a、禁止!!!
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/26 00:43

準備完了!!

今日、診察で助産院に。

「かなり、下に来てますね。もういつ生まれてもいいですね。」

昨晩も、お腹の中で大暴れしていたが、はたしてどんな子どもだろう。ものすごく楽しみだ。

勇士も「早く生まれて来い!!」と叫んでいる。

「楽しみだね。」というと。

「もちろん、楽しみだけど、赤ちゃんが生まれたら、自由になれるんだ!!」

「って、何から自由に???」

今日も、午前中、ユリが助産院に行っていたので、少しの自由があったようだが。

「もうそろそろ、自主的に勉強してくれることを期待してるよ。」
子供 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/22 20:11

情報革命時代に生きる

「情報革命時代に生きる」百万人の福音というクリスチャン雑誌に、インタネット、またさまざまなメディアの利用、リテラシーについて書かせていただいた。

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1. 3・11ネットがつないだ家族、社員の安否確認

3月11日14時46分18秒、新宿地下街で、揺れを感じた。銀行口座から現金を引き出そうとした時だった。みな、一斉に地上に駆け上がっていく。「どうしよう、お金を引き出している場合か!?」ぐらぐら揺れながら引き出した1万円を握りしめ、地上に。その時は、これほどの被害になるとは想像もしなかった。超高層ビルが揺れている。それを多くの人が心配そうに見ていた。「倒壊するぞ!」と隣のおじさんがつぶやいた。
家電量販店に行くと、テレビの前に人だかりが。津波警報に続き、衝撃的な映像が飛び込んできた。その時、胸騒ぎが。
「あ!! 妻と子供たちは、葛西臨海公園に遊びに行くと言っていた。」
東京湾にも津波警報がででいる。携帯で妻に連絡したが、何回かけてもつながらない。PCからネットに接続。「つながった。」会社にメールを出すと直ぐに返信が。「会社は、モノが落ちて乱雑になってますが皆無事でした。しかし、仙台に研修に行ったピーターさんデールさん、塾に向かっている翼君(長男)と連絡がとれていません。Cメールは、使えてますよ。山本」早速、妻にCメールを送ると、海沿いから高台の学校に避難して全員無事、翼も電車から降りて歩いて会社に向かっているとのこと。一安心。しかしまだ、ピーターさんとデールさんと連絡がとれない。
新宿から歩いて世田谷にある会社についたのは、8時を過ぎていた。「facebookにデールさんの書き込みがあるよ。」隣で一足先に会社に着いた翼がデールさんの投稿を発見。「トンネル内で新幹線が緊急停車。ピーターも一緒にいる。」iPhoneからfacebookに書き込んでいた。早速、「よかった!!お祈りしてるよ。」と返信。結局19時間新幹線の中に閉じ込められ、バスで9時間かかって東京に戻ってこれた。
携帯の音声電話は、今回のような災害時、ほとんど使えないことが分かった。また、携帯のe-メールもかなりの遅延が。そんな中、ネットにアクセスしfacebook,ツイッターなどでかなりの人が連絡が取れたようだ。

2. マスコミからは、伝わらなかった情報

ネットにはNHKの災害情報がユーストリームやニコニコ動画から流れていた。会社にはテレビがないので、災害情報、交通情報がわかり、会社に泊まるつもりだったが、京王線の再開が伝えられ、家に帰ることができた。
翌日、「福島第一原発、爆発。」全世界を震撼させる情報がマスコミ、そしてネットでも流れた。しかし、マスコミとネットでの大きな違いがあった。「安全、安心」を連呼するマスコミと、「最悪の事態を想定し、リスク管理」を訴えるネット情報。確かに同じニュースを伝えているのだが、とらえ方が大きく違った。原発ついて、ここでは論じないが、同じ事象が起きたとき、伝える側の立場、背景、知識により違った情報になりえることがある。世界でもfacebookから発信された情報が一国の歴史を変え始めている。そして、私たちはこの情報革命の時代に突入した。

3. これからの情報リテラシー

これまで、私は、マスコミからの情報はある程度正しいと信じてきた。しかし、想定外の事態、伝える側の不利益、視聴率、スポンサー、記者クラブ、関係筋からのリークなど気が付かない所で情報が操作され、あるときは隠されることがある。逆にネットからの情報は、信憑性、誹謗中傷など、更に受信者の情報リテラシーが必要になる。今私たちは、このネットという新たな情報手段も手に入れた。この新しいメディアは、一人の声が時として共鳴しマスメディア以上の情報発信になりえる。このことを知らずして、これからの情報化時代を生き抜いて行くことは難しい。

最近、注目を集めいるいくつかのキーワードについて少し見ていくことに。

・ウィキペディア (インターネツト百科事典)
私もよく利用する情報源だ。誰もが新規記事の執筆や既存の記事の編集を行える。大本営発表的になりがちな人物や団体などの公式サイトに比べ、“様々な観点を公正に扱う”という記述の方針により中立的で、詳細かつ網羅的な情報を知ることができる。しかし、情報の公正性、信頼性に欠けるとの指摘もある。

・フェイスブック
日本ではソーシャルネットワーキングサービス(SNS)といえば、mixiが有名だが世界的には、5億人以上のユーザーを持つのがフェイスブックが主流。SNSとは、ネット上で友人、知人また共通の話題を持った人とのコミュニケーションを促進する会員サイト。最近では、エジプトでの大規模なデモやストライキなどをフェイスブックで呼びかけた。
中高生の息子たちは毎日のようにフェイスブック友達と連絡を取り合っている。我が家では、セキュリティー、時間制限をかけているが、子供たちへの情報リテラシー教育も徹底していかなければ危険な面も多くある。

・ツイッター
「140字でつぶやく」シンプルな機能なのだが、情報の速さ、誰の情報でも見ることができること、一つのニュースソースに様々な見解を読むこともできる。今回の震災でも様々な情報を知ることができた。また、ニュースに自分のコメントを発信できるので自分自身の意見をまとめるためにも役立つ。

・ユーチューブ(動画投稿サイト)
尖閣諸島での情報が公開され話題になったが、それ以外にも多くの動画が配信されている。数年前までは、動画配信のためにはかなりのコストがかかったが、このサイトのおかげで、誰でも簡単に動画をアップできるようになった。

・ユーストリーム
動画のライブ配信ができる。私も何年か前から集会の動画配信を試みているが、「今までの苦労はなんだったんだ。」というぐらい簡単に中継ができる。ライブコンサートを楽しんだり、記者会見などリアルタイムで見れる。特に記者会見は、編集前なのでテレビから伝わらない多くの情報を得ることができる。

4. だれでもできる情報発信

これらのサイトの共通点がある。情報の受信だけでなく発信もできる双方向性、今までのマスメディアとの決定的な違いだ。先日も会社での説明会をユーストリームで配信し、会場に来れない方と情報を共有できた。
一つの情報が配信されると、他のサイトにも書き込みがされ更に情報が共鳴、反復し大きな波となる。当然、それを見込んで様々な操作が行われていることも予想できるが、マスメディアとの違いは、客観性がでてくることだ。私がよく見る客観情報の一つに映画レビューがある。配給側は「面白いですよ。すごいですよ。」という情報しかでてこないが、映画レビューを見ると様々な意見を読むことができ、映画を観る前の参考になる。

5. 情報の流れが大きく変わる時代に

震災後、被災地に何度か訪れた。支援物資の配給、ボランティア活動などに少しだけ参加することができた。現地で感じたことは、テレビ、インターネットでは伝わってこない人々の苦しみ、叫びがあるということだ。南相馬市の病院に訪問させていただいたとき、院長の高橋先生は、「最後の一人になるまでこの町にとどまります。」と静かに語ってくださった。家族、スタッフを気づかいつつ町から出られない人々のための究極の選択だ。
現在、あまりにも多くの情報が溢れているため、物知り博士のような気になってしまうことがある。もちろん、情報を知ることは大切だが、その目的は、人々のニーズを満たしていくことだ。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」そのために、今私たちに多くの情報が与えられているのではないか。情報ツールは、毎日のように新しい物が登場し消えていく。それらを追いかけるのではなく、それを使い、「全世界に福音を伝える道具」とする。しかし、「使徒の働き」を読むときにその考えも木端微塵に砕かれる。情報ツールがなかった時代に、爆発的なリバイバルが起きた。イエスの愛に触れた弟子たちが聖霊に満たされ命がけで福音を伝えた結果だ。
「信仰・希望・愛」いつまでも変わることのない、情報を携えて地の果てまでも命がけで走り続ける。その時、これらの情報ツールが役に立つのかもしれない。
ひとり言 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/22 20:00

ボランティアで奉仕してくださっている勇二さん背骨を骨折

いつも、ボランティアでトラックの運転からヘドロの書き出しなど一緒に働いてくれている勇二さん、先週土曜日仕事中、梯子からバランスを崩し転落、背中から倒れた梯子の上に落ち、背骨を圧迫骨折。

精密検査は明日、結果は明後日わかるが、腰にギブスをつけて一ヶ月程度入院の予定。

今、お見舞いに行ってきたが、比較的元気そうなので少し安心したが、相当痛そうだ。

速やかな回復を祈りつつ。
出来事 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/06/20 21:03

助産院でパパの準備会

今日は、矢島助産院で「パパのための出産準備会」に出席。

そこで、矢島さんからいつものように一言。

「出産は病気じゃない。自然なこと。主役は、お母さんと赤ちゃん」

しかし、病院での出産は、病院の都合により曜日時間帯まで決められてしまうことがあるという。

「今日は、夜飲み会だから、促進剤一本打っといて。」助産師さんが聞いたある産婦人科の先生の一言だった。

でも、これはまだいいほう。病院での出産は、月、火の午後が多いいそうだ。

外来の時間が終わった午後、それも週末がかからないように、月曜日、火曜日にするそうだ。

現在、日本では、病院での出産が99%、残り1%が助産院での出産になる。

翼は、総合病院で生まれた。夜中に陣痛が来て、病院に着くと、
「ご主人は、お帰りください。生まれたら連絡します。」とマニュアル通りの答えがかえってきた。

私は、家に帰り待機。その時の様子をユリが話してくれた。

「分娩台に乗せられ、手足を縛られ、一人きりにされてしまった。いよいよ生まれて来るときになると、切開され、血まみれで翼が生まれてきた。その後、翼とは引き離され、悲しくて泣いていた。また切開されたため痛みのため苦しんでいると看護士さんから『あんた一人っ子で甘やかされたのね』ときびしい言葉を・・・」

大使が妊娠した時、井澤さんから「自宅出産はいいわよ。」と声をかけていただき、矢島助産院にたどり着いた。

出産の時、家族全員で立ち会った。ユリが陣痛が始まると、私も背中をさすったり、手を握ることができた。

「決して一人きりにしないからね。」矢島先生の信念だ。

いよいよ出産の時、助産師さんたちは、出てるく赤ちゃんを引き出すことはしない。逆に母体をいたわり、ゆっくりと優しく見守っている。

そして、出産。まず赤ちゃんをお母さんの手に。出血もほとんどないので、産湯に入れる必要もなかった。大使もユリの手に抱かれて幸せそうにおっぱいを飲んでいる。

出産に立ち会った子どもたちも、涙目になり感動している。

「なんで、こんなあたりまえのことすら、今の日本ではなくなっているんだ!!」

合理的、生産性を高める。戦後、日本が追い求めてきた結果なのか?

出産、教育、そして死まで、ベルトコンベアーに乗せて流している。

その事に誰も疑問さえ持たない社会。考えることをやめ、そのシステムに流されている。


間もなく、次の赤ちゃんが生まれて来る。

今回も大阪からユリのお母さんが来てくれている。家族に見守れらながら、いつもの家での出産になる。
家族 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/19 01:32

4日の短期ボランティア

結局、家に着いたのは、午前2時過ぎ。

「3泊4日でできる限りのことをする。」という稲葉氏の意気込みが、誰からも文句の言葉がでない。
子どもたちは、このハードなスケジュールを楽しんでいるかのようだ。

最終日、若林区で支援物資を配り終え、東京に向かう予定だった。

「もう一度、南三陸に行きましょう。何かできることがあるかもしれなない。」

この地域は特に被害がひどい。避難所の人たちは家も家財も仕事も、ある人は家族もなくしてしまった。

何もできないことはわかっている。しかし、行くことにより何かできることがわかるかも知れない。

そんな思いがあった。

避難所に着くと、やはり行政の高い壁が。

まるで、「何しに来たんだ。」と言わんばかりの雰囲気が流れている。

「ボランティアに行くときは、役所には行ってはダメだよ。」初めから私たちの合言葉のようになっている。

人々のニーズではなく、自分たちの業務を行うこと、決められたことを守ること、上からの命令にしたがうことを優先している。

これ以上、この国の行政システムについては書かないが、何かおかしい。

稲葉氏が一時間近く、自治会長さんと話をした。この避難所にも多くの必要があることがわかった。

結局持ってきた、野菜や果物を倉庫に置くことは許された。

「彼らは、私たち被災者のことなんか、初めから考えちゃいない。自分たちの仕事をこなすことで精一杯なんだ。」自治会長さんが、ため息交じりに話してくれた。

役場の職員の方とも話ができた。

「会議で決まったことですから。私の権限では。」

彼は震災後、必死に働いてきた。話すと私たちの事も理解してくれた。しかし現場の声は、会議には聞こえていないようだ。

ここでは皆、不完全燃焼のような気持ちになり、南三陸を後にした。

「まだ、やることがあるということですね。これで終わりじゃない。と神様から語られたような気がします。」

美穂さんがバスの中で話してくれた。

東北自動車道に入り、一路東京に、大雨が降ってきた。


「まずい、終電に間に合わない。」

トラックとバスで爆走。休憩も最低限に。

「トイレに行きたいです。」

「急いで戻ってきて」、「その間に、電車に乗り込み準備。」

終電の時間を調べてみると、何名かは、チアのオフィスに泊まることに。

大宮で、山本さん、月城先生親子とわかれ、チアのオフィスについたのは12時前。

久米川から、としやも何とか終電に間に合った。
南三陸で渡すことのできなかった物資を雨の中、チアのオフィスに運び入れ、洋二家に着いたのは1時過ぎ。はるか、せいなと別れ、荷物の整理が終わったのは、2時前。
家に着き何とか歯だけは磨き、ベットに。

今回も、ハードなボランティアだったが、多くの人の顔が目に浮かぶ。

「ありがとう、この一言しかいえませんが。」と言って子どもたちの手を握ってくれた、釜石の町内会長さん。

「僕にはどうにもできない。」と涙目に話してくれた、南三陸の役所職員。

前回は、動くこともできなかった石巻の高橋さんが、侍浜に私たちを連れて行ってくれ、今度は、自分がボランティアとして浜の人たちを助けている姿。

最後の最後まで、あきらめない稲葉氏。

黙々と文句ひとつ言わず、頑張った今回のチーム。

「俺たちだけじゃ、この仕事は終わらなかったよ。」と侍浜の漁師さんの言葉。

次回はいついけるかまだ分からないが、祈りつつ。
出来事 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2011/06/17 11:39

侍浜 ボランティア

朝、7時にトラックおじさんチーム出発。

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新鮮な野菜がちょうど届き、積み込みをして石巻に。

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今回は、石巻の高橋さんがいつも海藻を仕入れている侍浜に。


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釜石の漁港で仕入れた、網を切るナイフを渡す。ものすごく喜ばれた。
その後、このナイフで、次々に絡まった網を切ることができた。すごい切れ。

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朝仕入れた、新鮮な果物と野菜、明泉幼稚園からの洋服などを渡すことができた。


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そして、いよいよ作業開始。まずは、津波で壊れた家の瓦はがし。

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そして、ここでもヘドロかき。

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若者パワーで。

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瓦礫の撤去。


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この漁村は、家が数件壊れた程度で、比較的被害が少なかった。が、そのため、支援がほとんど入っていなかった。

5時近くに作業終了。みんなヘトヘトダに疲れ切っている。
が稲葉さんが「南三陸に行きましょう。今からならまだ、明るいうちにつけるかもしれない。」

私も、もう驚かなくなっている。何かあるな。

そして、南三陸に、テレビで、インターネットで壊滅的な情報が伝えられていたが、その通りだ。

町のほとんどの建物がない。有名な災害センターの鉄骨と、病院と数棟の鉄骨建が残っている。

1万7千人の生活が一瞬にして奪われた町だ。

避難所になっている、中学校に行き、支援物資を少しだけ渡せた。

すると、厳しい現実が見えてきた。(続きは、東京で)

明日は、若林区、もしかすると南三陸に行き、東京に戻る予定。


それにしても、みなよく働いた。文句言わずに黙々と。侍漁師さんも子どもたちの働く姿に、

「この子たちは、ふざけることもせずに、一生懸命やるな!」と感心していた。

初め別々に作業していたが、最後には一緒に働いていた。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/16 00:00

釜石で

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サマリタンズ・パースのベースキャンプの朝。

5時起床、各自ディボーションの時。

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荷物の片づけ。

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朝の礼拝

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稲葉さんの10分メッセージの後、オリエンテーション。

7時30分、釜石に向け出発。

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今回は、明泉幼稚園から大量の衣類が寄付された。

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新鮮な果物、野菜は、手に入りにくくあっという間に。

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午後からは、仮設住宅の家庭用品の配布の手伝い。

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みな、てきぱきと行動し、完了。

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聖書トラックの運転は勇二さんと松岡で。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/15 00:07

今回は、サマリタンズ・パースのキャンプで

今回は、毎回支援物資の提供でお世話になっている、サマリタンズ・パースのボランティア基地で一泊お世話になる。

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朝、8時チアオフィスを出発。


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高速で。(稲葉さんの笑顔がいいね。)

そしていつものよにう仙台で、支援物資を追加。


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松岡3兄弟。せいしろうくん、けいごが見送りに。

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そして、住田町のサマリタンズ・パースのキャンプ。すごい。

4つの大テント。一つが食堂に、


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食事も。

おいしい、中華丼。あまりにおいしいので、調子に乗っておかわりをしてしまい、苦しい。

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世界中からボランティアが来ている。ここを拠点に気仙沼、陸前高田、大船渡などで活動している。

ここのキャンプリーダーは、風間先生が。

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明日は、釜石で、仮設住宅引っ越しの手伝いの予定。
出来事 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2011/06/13 21:28

来週から

来週月曜日から、東北にボランティアに出発する。
今回は、宮城から参加してくださる方と合わせて25名で。

特に松岡親子は、仙台からトラックで支援物資を取りに来てくださる。

ボランティア予定地は、釜石、石巻、若林区等。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/11 11:16

クリスチャンのあまえ

サポートスクールに稲葉氏が来て子どもたちに話をしてくれた。

クリスチャンの会社経営者に会うと、「私の会社ではクリスチャンは雇いたくない。」

という話をよく聞くという。


上司に対する恐れがない。言葉遣いがなれなれしい。 (みな兄弟姉妹)

仕事をいい加減にする。 (この世のものはみな過ぎ去る)

どんなに忙しくても教会の集会があると帰る。 (神の国とその義を第一に)

不平不満が多いい。 (みな平等、自分の考えを言う)

怠ける。 (無理をしない)

()の中は、確かに教会でよく聞くことであるが、自分のいいように解釈してしまうと逆になる。

「世の光、地の塩」とは、ほど遠いい。

自分も含め、社会の中でどのように生きるか、クリスチャンが問われている。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/10 09:45

焼肉パティー

今日は、ホームスクール大先輩のIファミリーと、今年からホームスクールのS親子と楽しく焼肉パーティー。
途中、勇二さんも飛び入り参加。

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食後に、仲よくちゅうちゅうアイスを食べる4人組。大使と恵吾君は意気投合で、初めからはしゃぎすぎ。

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総勢17名。

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ダブル翼。


あっという間の楽しいひと時だった。
家族 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/05 00:12

郡山 ビックパレット、避難所に

今日、アンディー・ミーコさんと郡山ビックパレットに。

福島原発の事故後、富岡町と川内村から今まだ、1000人以上の方が避難している。ピーク時には2000人を超えていたそうだ。
段ボールで仕切りを作り、床の上に毛布一枚を引いたプライベートのない環境の中ですでに3カ月を迎えようとしている。

多くの方が、希望をなくし不安な毎日を送っていた。

ミーコさんがリーダーとなり、一人ひとりを励まし、またプロジェクトをつくり、多くのボランティア共に被災地の人々の心のケアーにあたっている。

インタビューでマイクを向けると皆明るく語ってくれたが。

ミーコさんが一人のおばあちゃんの手を握り話をすると手が固い。筋肉が硬直している。よく聞くと、毎晩悪夢を見て寝ることができないと答えてくれた。

共感し、話を聞き、共に泣き、共に笑う。そうしているうちに、心が通いあい、真実の愛と永遠の希望を伝えている。

この避難所は、後1か月で閉鎖されると聞いた。それまでの間に、できるだけ多くの人に福音を伝えるために、多くのボランティアが必要だ。
出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/01 23:48
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